こんにちは。カラーコーディネーターの田巻小百合です。
「誰かに話したくなる色のミニ知識」、これからシリーズでお伝えしていきます。
第1回目の今回は、私たち日本人が常識と思っていることで、世界では違ったとらえ方をされていることの話として、虹の色についてのミニ知識をお伝えします。
早速ですが、皆さんは虹はいくつの色でできていると思いますか?
それはもちろん、7色でしょう!と思われた方も多いのではないでしょうか。実際、私は物心がついた時には、虹を7色で描いていました。
日本では、虹といえば7色(赤・橙・黄・緑・青・藍・紫)というのが一般的となっていますね。
でも、現実に虹を見た時、「7色」すべてを数えられることは珍しいと思いませんか?
「7色」の虹は世界では少数派!
虹の色数についての認識は、世界に視点を移すと様々で、7色と認識している国の方が実は少ないのです。
例えば、イギリスやアメリカでは6色(赤・橙・黄・緑・青・紫)、フランスやドイツ・中国・メキシコでは5色(赤・黄・緑・青・紫)、南アジアやアフリカの一部では2色と認識されています。
ちなみに、日本でも昔は5色と考えられていたそうです。また沖縄地方では2色(赤と黒、または赤と青)と考えられていたようですよ。
こんなにたくさんのとらえ方があるのにはびっくりしますね。
どうしてそうなるのかというと、虹の見え方に関係があります。
虹が見えている時というのは、雨上がりで空気中に漂っている水滴に太陽の光が当たって反射・屈折していくつもの光に分かれている状態です。
その光が様々な色に見えているのですが、色と色の明確な境目はなく、またその時々によって空気の状態も違っているので、色の見え方も違ってくるというわけなのです。
それで、虹の色の数に正解はない、というのが答えになるのですね。
日本で虹が7色になったのはいつから?
そうすると、日本ではいつから誰が7色と言い出したのでしょうか?
答えは明治に入ってからです。
明治8年に発行された教科書で「太陽の光は7色」と紹介されたことで一気に広まりました。
その考えの元になったのは実は、リンゴで重力の概念を発見したことで有名なイギリスの物理学者、ニュートンの研究です。
17世紀に、ニュートンは太陽の光をプリズム(ガラスの三角柱)に通して、白色光(日中の無色の光)が単色光(虹のように色のついた光)に分光されることを発見しました。
ニュートンは、この偉大な発見を世間により印象づける方法として、“7”という数を使うことを考えたのでした。
当時ヨーロッパでは、学問として音楽(ピアノ)が注目されていたので、その音階が7つ(ドレミファソラシ)であることに着目しました。
また、7が神聖な数字と考えられていたこともあり、「7」つの色と定義したそうです。
日本では、ちょうどこの頃、明治維新によって欧米から様々な影響を受けていたため、教育面でこのニュートンの定義が取り入れることになったというわけです。
明治時代は100年程の前の話。もっと昔から7色とされていたように思っていましたが、そういうわけではなかったのですね。
虹の色数の認識は、地域ごとの文化・時代によって、定義されているものだということがわかりましたね。
さて、あなたの認識はいかがでしたか?
ちなみに私は、未だにはっきりとした7色の虹を見たことがないことに気づいたので、これからは虹が出るたびに色を数えるのが楽しくなりそうです。
次回は、日本史における色のミニ知識をお届けします。お楽しみに♪
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