こんにちは。カラーコーディネーターの田巻小百合です。
「誰かに話したくなる色のミニ知識」、第2回の今回は、日本人に好まれる色のルーツについて、探っていきたいと思います。
「色」はときに名刺代わりとなる
皆さんは初対面の方に自己紹介する時、自分をどのように表現しますか?
名前や職業、趣味などを言葉で伝えたり、もしくは名刺に表記して差し出したりするかもしれませんね。それ以外にどのような方法があるでしょうか。
例えば、あえて鮮やかな色を身に着けて印象づけたりと、視覚で伝えるという方法もありますね。
つまり、名乗らなくとも簡単に多くの人に伝える方法として、「色」を使うことがあります。
「紫」が高貴な色とされる理由 ~飛鳥時代~
その昔、飛鳥時代では、役人の階級を表す方法として、頭にかぶる冠の色が分けられていました。小学生で習った歴史の授業を思い出しますね。
最高位から、紫・青・赤・黄・白・黒の順で表され、誰がどの地位なのかを瞬時に判断できる合理的な仕組みでした。
そして紫が上位になっていたのには理由があります。
当時はもちろん今のように合成染料などない時代。紫色の原料は‘紫草’という高価な植物で、なかなか手にできない特別なものでした。よって、高貴な人しか身に着けられなかったのですね。
今でも紫の色には高貴さや上品さのイメージがありますが、それは飛鳥時代から私たち日本人に刷り込まれた意識の名残かもしれません。
ちなみに、この紫草は現在絶滅危惧種になっているようです。
時代を代表する両極端な色 ~戦国時代~
その後、戦国時代には、千利休や織田信長、豊臣秀吉などが登場します。
この時代は、活躍した人物の好んだ色が極端に違うことが特徴的です。
まず、千利休は侘び茶で有名ですが、無駄を極限まで省く精神から「利休鼠(りきゅうねず)」と呼ばれる灰色や「利休茶」の茶色など、自然に溶け込むような色が多数生み出されました。
一方、織田信長や豊臣秀吉、伊達政宗などの武将は、権力の象徴として金や、鮮やかで豪華な色を好んで贅沢に使ったことで知られています。
さて、彼らが好んだ色は現代でも(利休鼠や利休茶のような名前は知らなくても)老若男女問わず幅広く好かれる色ですし、豪華絢爛な金の装飾は、今も昔ももちろん人気です。
ここにも、日本人に受け継がれている色のルーツを感じますね。
「色」でアイドルを識別 ~江戸時代~
江戸時代には、派手な色の着用を抑えるよう幕府から制限が出された結果、町人を中心に「四十八茶百鼠(しじゅうはっちゃひゃくねずみ)」という、48種類の茶色と100種類の灰色の表現で例えられた、膨大な種類の僅差の色が登場しました。
また、その頃に活躍していた歌舞伎役者が演目の際に着ていた衣装の色には、その役者名がついた「団十郎茶(だんじゅうろうちゃ)」「路考茶(ろこうちゃ)」などが登場し、人気となりました。
その当時の歌舞伎役者は、今でいうアイドル的な存在だったそうです。
当時は識字率が高くなかったので、色によって出る役者を知ることができるようにしたという意味もあったようですが、着用している色に人の名前が付くとは今の時代にはなかなかないことですね。
今回は、日本人に好まれる色のルーツについて飛鳥時代から遡って見てきました。中には好きな色や、持っている洋服の色があった方もいるのではないでしょうか。
日本人は曖昧な色を好む傾向があると言われますが、それには先人が積み重ねてきた色との関わりが大きな影響を与えたと言えそうです。
また、日本人は「四十八茶百鼠」といった僅差の色を見分ける視覚的な能力が高いとも言われていますが、それも長い年月をかけて培われてきた歴史の結果と言えるのですね。
皆さんの生活にも馴染みのある色、そのルーツを紐解くと、思わぬ歴史に結びつくかもしれません。ぜひ、あなたの好きな色のルーツ、探ってみてくださいね。
次回は、国旗に関する色のミニ知識をお届けします。お楽しみに♪
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